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不定期連載シリーズ
2019/05/14

「森羅万象すべてが教訓」不定期連載シリーズ 4-2 羽田野隆司

管理者用

一緒に仕事をしてきた仲間を、一度に大勢失う辛さは耐え難い

デパートの仕入担当者や売場担当者も、赤紙1枚(※召集令状)で戦争に駆り出されました。 戦後、復員してきてもデパートでは店舗があっても売るモノが無かった。

そこでデパートを辞めた服飾関係者が集まり、会社を興した。 それが佐々木さん(※後のササキレナウン)です。 戦後、次第に物資も出回るようになり、レナウンさんから「昔のような製品ができないか 」と、お声をかけてもらった。 昭和23年のことです。

以来、D&Mは10年間にわたってレナウンさんのブラジャー、コルセットを製造させていただきました。 ブラジャー、コルセットのデザイン画を描くのは、私の役目でした。 沢山のデザイン画の中からレナウンさんの担当者が、これはと思うデザインに丸を付ける。 そしてモデルさんのサイズに合わせて現物を作るのです。

カタログの写真撮影のためのサイズ合わせに最初に立ち会った時でした。 綺麗でスタイル抜群のモデルさんたちが「ちょっと、そこの素敵なお兄さん、私が着けるブラジャーはどれなのかしら?」などとニッコリ微笑みながら、次々に近づいてくるのです。

「男女7歳にして席を同じゅうせず」の訓えは、今の若い方々には理解できないかも知れませんね。 でも当時は、それが当たり前だったのです。

そんな時代背景を考えてみてもらえれば納得してもらえると思いますが、品行方正に育っていた?私の顔は、耳まで真っ赤に染まってしまった。 それを見たモデルさんたちは悪戯っぽく笑っていましたが、レナウンさんが選ぶだけあって、モデルは別嬪さん揃いでしたね。

レナウンさんとは10年間、お取引をさせていただきました。 しかし、繊維業界全体が対米輸出のため、香港に生産基地を移し始め、また、国内の労働賃金が総じて上昇し、地味な職種が敬遠されるようになり、求人が難しくなるという時代が訪れました。 ちょうど「1ドルブラウス」が出てきた頃ですね。

ブラジャーにしても白、ピンク、黒が主流であったところにサーモンピンクやエッグシェールなどといったカラーバリエーションが要求されるようになり、自社で染めねばならなくなった。

人手の確保が難しくなってきたところに作業工程が増えてきたわけです。 私はミシン作業が終わった後、深夜まで染めの仕事にも追われました。 薄い色ほど、何度も染めては洗うことを繰り返さねばならず、目が回るほどの忙しさでしたね。

レナウンさんが、自前で縫製工場を立ち上げたこともあって、当社としてはレナウンさんの仕事を断らざるを得なくなった。 D&Mでは、当時、女性従業員だけで60名くらいの人々に働いてもらっていました。

当然、売上げは激減するという見通しですから、今でいうリストラをせねば会社の基盤が揺らぐことになります。 会社として女性従業員の約半数に辞めてもらうという、辛い決断を余儀なくされることになりました。

その彼女たちに事情を説明し、理解してもらった上で、最後の給料と退職金を一人ひとりに手渡すのは私の役目でした。 一緒に仕事をしてきた仲間を大勢、失わねばならない辛さは耐え難かったですね。 今、思い出しても胸が締め付けられるような気がします。

この辛い時期を乗り越えるため、当社では主軸事業であったブラジャー・コルセットの洋装下着よりも、サポーターに事業のウエイトをシフトすることを決断したのです。

その大きな決断の結果を「吉」に導いてくれたのは、世紀のスポーツ祭典「東京オリンピック」でした。

 

 【月刊スポーツ用品ジャーナル 2015年6月号に掲載】

 ====次回(5-1)へ続く=======

 

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