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不定期連載シリーズ
2016/07/04

「森羅万象すべてが教訓」不定期連載シリーズ 4-1 羽田野隆司

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勉強しながら家業を手伝う“2足の草鞋”を履き続けた

戦争が終わり、日本を統治して復興させるためのGHQ本部(※連合国軍総司令部)が横浜に置かれたこともあり、横浜地区には国内外から数多くの物資が集積されるようになりました。

国への拠出や空襲で生産機材や資材のほとんどを失った当社は、新たなスタートを切るために横浜でセコ(※中古)のミシンを調達するなど、必死で生産体制を整えることに腐心しました。

復員してきた従業員も一人、また一人と戻ってきてくれましたし、徐々にメーカーとしての体裁は整いつつあったのですが、なにしろ戦後すぐの混乱の時代です。 日本国中、食べるものにさえ事欠く時代でした。 十分な材料が無ければ、製造業は成り立たないわけです。

“統制”の時代ですから、自由に製造販売をすることも叶わなかった。 国内の製造業者は皆、開店休業といった状態でしたね。

そこでゴム織物の製造業者であるわれわれは、同業者が集って組合を作り、役所から許可を得て、割り当ての材料を回してもらいながら、賃仕事をこなしていました。

終戦の前年(昭和19年)、私は両国高校(旧制・都立三中)に進学し、勉強しながら家業を手伝うという“2足の草鞋”を履き続けました。 少しでも母を助けたいという意識も、当然ありましたが元来、手先が器用で物を作ることが大好きでしたから、家業を手伝うことには、まったく抵抗はありませんでした。

勉強と家業に精を出す日々が続くうち、多くの若者がそうであるように、隆司少年も自分の進むべき道を考えるようになった。 進路をどうしようかと迷い抜いた結果、自分には物作りのほうが適していると思い、卒業後は家業の道に進むことを決心しました。

私がミシンを踏み始めたのは17歳の時です。 ミシンの音が子守歌代わりのような環境で育ちましたし、音を聞いただけで機械のご機嫌がわかるような気がした。

そんな子ども時代を送ってきた私には、ミシンの神様も微笑んでくれたのでしょう。 熟練の域に達するまでに時間はかかりませんでした。 ベテラン従業員が舌を巻き、そして兜を脱ぐほどのスピードと正確さで、ミシンを使いこなせるようになりました。

当時の製造業は、家内制工業というスタイルがほとんどでした。 目や指先など“人間の感覚”がモノをいう時代でもありました。 プロとしての技量が求められたわけですし、当然、製品の優劣も職人の業が左右することになります。

ゴム織物の製造を行うにはミシンが不可欠ですが、それをきっちりと使いこなす“職人の技”が必要だったわけです。 誰にも負けない職人になろうと決め、必死で努力を重ねた。 それが私の青春時代でもありました。 

機械よりも“本物の職人”が作った製品のほうが精度が高い

「仕事の奥深さ」を、より強く感じるようになったのは、家業を継ぐ決断をしてからです。 「家業の道に進もう」と腹を括ってからは、さらに優れた製品を作るにはどうすべきか、という意識が常に頭から離れなくなりました。

仕事が始まる2時間前には作業場に出て、すべてのミシンの調整を行いましたし、実際の製品作りにおいても、正確さとスピードなど、誰にも負けない技術を身につけることができたと自負することができます。

復員してきた従兄の義一氏(元D&M専務)も、指先が器用でしたね。 二人で競うようにして優れたモノ作りに勤しんだことが、まるで昨日のことように思えます。

この時代に強く感じたことは、人の先頭に立つ者は率先して仕事をするということです。 自分が出来ないこと、、無理なことをやりなさい、というのでは人は付いて来ないし、育たない。 人を指導して引っ張っていくには、まず自らが手本を示すということですね。

時代の変遷を経て、ミシンの性能は格段に進化していきました。 昔は1本針でしたが2本針、3本針、5本針、7本針と進化を遂げ続けました。 今では目を瞑っていても自動的に縫い上がるシステムまで開発されていますが、職人の立場からすると、これではヨロシクないというか、満足できないという気持ちが湧いてきてしまうのです。

丁寧に縫い上げた製品に、心を込めて返し針を打ってこそ、“職人の仕事”だと思いますし、機械で作ったものよりも“本物の職人が作った製品”のほうが、より精度の高いモノができると信じています。

ただ、職人技だけに頼っていたのでは、製造業として立ちいかないわけですし、人間の技だけにしがみついていては時代に取り残されてしまいます。

今は機械による大量生産の時代ですが、日本の職人が磨き上げた技というものは、どの分野においても世界で群を抜くものだと思います。 時代は変われども職人気質という根本の要素を忘れてしまってはいけない。 それでは製造業としての競争には勝てない。 そんな気がします。 

 

 【月刊スポーツ用品ジャーナル 2015年6月号に掲載】

 ====次回(4-2)へ続く=======

 

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