イメージがありません。 不定期連載シリーズ 「森羅万象すべてが教訓」不定期連載シリーズ 4-2 羽田野隆司 一緒に仕事をしてきた仲間を、一度に大勢失う辛さは耐え難い デパートの仕入担当者や売場担当者も、赤紙1枚(※召集令状)で戦争に駆り出されました。 戦後、復員してきてもデパートでは店舗があっても売るモノが無かった。 そこでデパートを辞めた服飾関...
不定期連載シリーズ 「森羅万象すべてが教訓」不定期連載シリーズ 4-1 羽田野隆司 勉強しながら家業を手伝う“2足の草鞋”を履き続けた 戦争が終わり、日本を統治して復興させるためのGHQ本部(※連合国軍総司令部)が横浜に置かれたこともあり、横浜地区には国内外から数多くの物資が集積されるようになりました。 国への拠出や空襲で...
不定期連載シリーズ 「森羅万象すべてが教訓」不定期連載シリーズ 3-2 羽田野隆司 戦争は人それぞれの人生を大きく狂わせてしまうもの・・・! 父親の庄二が亡くなり、母の美代が3代目の社長を継いだ昭和13年。 会社の切り盛りに追われ、当面、育児どころではなくなった母は、木場の実家に私を預けました。 長女であった母の妹や弟は、...
不定期連載シリーズ 「森羅万象すべてが教訓」不定期連載シリーズ 3-1 羽田野隆司 幼い頃の生活様式はアメリカンスタイル。 朝食にオートミール!! 2代目社長となる羽田野庄二が大正9年(1920年)に入社し、輸入に頼っていたサポーター・コルセット・ブラジャーの国産品の開発に務め、大正15年にゴム入り織物の製織に成功しました...
不定期連載シリーズ 「森羅万象すべてが教訓」不定期連載シリーズ 2-2 羽田野隆司 「夢の超特急」は、もくもく煙を吐き出しながら走る蒸気機関車だった 創業者は自分の兄の孫娘(伊井美代)と、私の父(羽田野庄二)を一緒にして家業を継がせ、またアメリカに渡って暮らすことになりました。 昭和6年に私が生まれ、昭和13年には病没して...
不定期連載シリーズ 「森羅万象すべてが教訓」不定期連載シリーズ 2-1 羽田野隆司 いつも機敏に動くことを心がけることは、とても大切なこと!! 前回は、D&Mの創業に至るまでのことをお話ししました。 創業者の鈴木宇兵衛は米国から帰国し、東京の三田にD&Mの日本総代理店として「デイエム商会」を設立し、総合スポーツ用品や婦人服...
不定期連載シリーズ 「森羅万象すべてが教訓」不定期連載シリーズ 1-3 羽田野隆司 母は“木場のじゃじゃ馬娘”。 父の他界から激動の時代へ 帰国した宇兵衛は1902年、明治35年にD&M社の日本総代理店として、東京の三田に「D&M商会」を設立し、総合スポーツ用品および婦人装飾用品の製造・販売をスタートさせました。 その時代...
不定期連載シリーズ 「森羅万象すべてが教訓」不定期連載シリーズ 1-2 羽田野隆司 “皿洗い”からスタート。 日々努力の末、ホテル経営者に 渡米した若い創業者夫婦が新天地で生きていくために選んだというか、遠い異国から来て右も左も分からない、英語もろくにできない日本人が、なんとか衣食を担保できる道は“皿洗い”くらいしかなかっ...
不定期連載シリーズ 「森羅万象すべてが教訓」不定期連載シリーズ 1-1 羽田野隆司 創業者は江戸城出いりの御用商人。 140年前に渡米を決断する このほど「スポーツ用品」ジャーナル」の誌面で、私がスポーツ業界に身を置きながら実際に見てきたことや、心に感じてきたことを述べさせて頂くことになりました。 昭和6年12月に生まれた...
不定期連載シリーズ 「森羅万象すべてが教訓」【予告編】 今回はスポーツ用品ジャーナル誌にて、不定期連載中の弊社相談役である羽田野隆司が幼少期からの日本の歩みから会社創業秘話やスポーツ業界での逸話を綴った回顧録です。 題して 「森羅万象すべてが教訓」。 掲載を前に、略歴を紹介させて頂きます。 羽田...