HISTORY
創業者・鈴木宇兵衛の軌跡 |
株式会社D&Mの創業者であり、初代社長でもある鈴木宇兵衛の鈴木家は、徳川幕府成立後、将軍家御用達の酒問屋であったが、1868年、徳川家が明治政府に政権を譲り渡したことにより、後立てを失い廃業。当時20歳代だった宇兵衛は、一大決心、太平洋の荒波をこえアメリカ大陸へと渡った。羽田野隆司現相談役は、「19世紀末の日本の状況を考えれば、今で言えば、月旅行に匹敵するような大変な旅であったろう」と語っている。 渡米後、経緯は定かではないが、サクラメントでホテルを経営するなど、経営者としての手腕を思う存分振るったようである。そして、20世紀をアメリカで迎えた宇兵衛は、1902年、ニューハンプシャー州プリモスに本社のあるD&M(ドレイパー・アンド・メイナードカンパニー)とのエージェント契約を獲得するに至る。 |
アメリカのD&M (ドレイパー・アンド・メイナード)社のはじまり |
鈴木宇兵衛が1902年にエージェント契約を交わしたアメリカのD&Mとは、どんな会社だったのか。 ニューハンプシャー州プリモスで事業を興したD&Mは、ジェイソン・フレッチャ・ドレイパーと、義兄のJ.メイナードが、プリモス村の南に手袋工場を開設していたJ.F.ドレイパー・アンド・カンパニーを引き継ぐ形で始まった。すぐにドレイパーとメイナードは、新しいタイプの野球グローブを商品開発。ほどなく市場が拡大し、北米でも有数のスポーツ用品メーカーに数えられるようになっていった。 その後はメジャーリーグの発展に呼応する形で次々に新商品の製造・販売を行い、プリモスの町の財政支援などを受けながら、工場を新設・拡張するなど順風な会社運営が続いた。 D&M社商品は高品質なスポーツ用品の最高峰として世界的に浸透していったのである。 しかし、ジェイソン・ドレイパーが1913年に死去、1937年にはメイナードが死去すると、その2ヶ月後には会社は閉鎖され、商標名と特許は売却され、その歴史に幕を下ろした |
ジェイソン・ドレイパーが1913年に死去。 |
その名も『Lucky Dog!!』 名付け親はベーブルース |
D&Mのスポーツ用品は、品質が良いことで数多くのスポーツ選手から愛用されたが、特にメジャーリーガーの愛用者が多く、中でもベーブルースとの結びつきには有名なエピソードがいくつかある。 1916年、ワールドシリーズに優勝したボストンレッドソックスチームがプリモスのD&M社の工場にグローブとミットの作り方を見学に訪れた際、ベーブルースが縫製台に向かって座り、野球ボールの縫製を行うシーンを演出、これが一枚の写真に収められ今も残っている。 また当時、D&Mの正式なスポーツ選手CMキャラクター契約を結んだ彼は、D&Mを評してThe“Lucky Dog”Kind「いい(運)つきをくれる品」という標語を与え、後にこれは版権が取られ、当時D&Mのマスコットであったメイナードの鳥猟犬ニックのイラストレーションと共に登録商標となり、皆に愛された。 |
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1937年にはメイナードが死去すると、その2ヶ月後には会社は閉鎖され、 商標名と特許は売却され、その歴史に幕を下ろした |
アメリカのD&Mの キャラクター・ロゴマーク |
プリモスのD&Mの工場で野球のボールを縫っているベーブルース。 右後ろが社長のジョン・メイナード |
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SPORTS(SUPPORTER) |